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仙台高等裁判所 昭和26年(ラ)14号 決定 1954年2月05日

抗告人 小野増三

右代理人弁護士 田村政芳

相手方 小野保正

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告理由は別紙記載のとおりである。

仍て按ずるに真正に成立したと認められる疏乙第一乃至第四号証の各一、二第五号証、第八号証の一、二、成立に争のない第六、七号証の各一、二、第九号証、原審証人小野正見、小野トシ、小野ヤエ、小野源吉、高田義人の各証言、原審における相手方本人尋問の結果を綜合すると、

一、相手方は青年時代真面目な農家の長男として仕事にも精を出し、家事を助けていたのであるが、父である抗告人は頑固な大酒家でなぜか相手方には特に強く当るという状態であつたから、抗告人の妻で相手方の母であるイシは実家の高田義人とも相談の上、相手方をして「一時父の許を離れて模様を見たらよかろう」ということになり、大正十年二月頃相手方二十四歳の当時家出せしめたものであつたこと。

二、その後相手方は苦辛勉励の末森林主事登用試験に合格し、爾来○○県内の営林署に勤務していたのであるが、その間薄給の内より師範学校から高等師範学校に進んだ弟正見や、医学専門学校に入学した弟広の学資を貢いだり、弟実が無銭飮食で警察署に留置された際はこれが弁償金を送つて釈放せしめる等抗告人及びその家族のためには少からぬ経済上の援助をしていたこと。

三、終戦当時満洲国より引揚げ実家に居住していた弟正見からの相手方に対する実家は弟実や徹が応召して生死の程も判らない状態にある関係上、荒廃甚しく老父が弟実の妻ヤエを相手に農業に従事しているので家計困難を極め復興覚束ない実情にあるから帰つて貰いたい旨の書面に接した相手方は、昭和二十一年二月頃単身帰郷し数日滞在して抗告人は勿論、正見やヤエ等とも相談した結果、抗告人も帰つて来いというので相手方としては推定家督相続人としての責任上農地改革を叫ばれている折柄でもあつたから、農地確保の関係もあつて子女の転校其の他家庭的、経済的の利益を犠牲にし栄進の望をも捨てて在官二十数年に亘る営林署官吏を辞職したこと。

四、斯くして其の頃官吏生活を清算した相手方は昭和二十一年四月十五日頃一家を挙げて帰郷したところ、意外にも抗告人の態度はひよう変し、相手方及びその家族の家宅内に入ることを拒否するは勿論、所携の荷物すら入れさせなかつたので、相手方はやむなく当時空家になつていた隠居家に落ち付いたのであるが、爾来抗告人は相手方に対し配給を受けている者と一しよでは米が減つて損だとか、農業技術もない者とは同居できない等と称して事毎に相手方を冷遇したこと。

以上の各事実が認められると同時に証人石田ミツ、小野ヤエ、小野隆の各証言、抗告人本人の供述を総合すれば、相手方は昭和二十一年四月帰宅当時「この家の財産は全部俺のものだ」と放言し、その頃再度に亘り口論の末抗告人と格鬪してこれに腕力を振つたことのある事実、昭和二十二、三年の秋頃脱穀機の使用に関し抗告人が相手方に苦情を言つたことから争となり、またまた抗告人と格鬪を演じたことのある事実を看取するに難くはないが、右の他相手方が抗告人主張のような暴言又は暴行をしたという点については前記各供述中抗告人の主張に副う部分は信用し難く、他にこれを肯認するに足る証拠はない。

然らば叙上の如き相手方の言動が相続人廃除の正当な事由となるか否かを考えるに、通常の事例としてこれを看れば相続人たるべき者が齢既に七十歳の被相続人に対し腕力を振うが如きことはたやすく許さるべきでないことは言うまでもないが、本件相手方の場合においては当時実家のため、抗告人のためを思い、切角多年勤務し平穩な生活を維持して来た営林署官吏の職を抛つて帰郷したのであるから、寧ろ感謝と共に歓迎されることを期待したのに、予期に反する甚しい冷遇を受け生家に入ることすら拒否されたので、妻子に対する面目を失い立場に窮して前途に希望を失つた結果、昂奮の余帰宅当時右認定のような暴言を放ち、延いては暴行に至つたものであり、昭和二十二年、三年秋の格鬪も亦依然たる睨み合、対立の状態において抗告人の挑発に基く昂奮の結果に出たものに外ならないと見るのが相当であつて、右は父、父たらずして子の非行を誘発したものというべきであるから、その情状において深くあわれむべきものがあり、これを以て相続権を剥奪するに値する程重大な非違があつたものと断じ難いものといわねばならない。

しからば原審が抗告人の本件申立を棄却したことを以て当を失するものとはいい得ないから本件抗告は理由がない。よつて主文のとおり決定する。

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